広島高等裁判所岡山支部 昭和30年(ネ)77号 判決 1956年4月27日
控訴人
鷺森武夫
被控訴人
瀬川佐平
主文
原判決を左のとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し金一万円の支払をせよ。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は之を十分し、その三、を被控訴人の、その七、を控訴人の、各負担とする。
事実
(省略)
理由
控訴人が昭和二十七年三月六日午後五時頃高梁市津川町出口森野荘一郎方前納屋の宅地内において薪を積んだ荷車を支えて、納屋前の県道を反対方向から進行して来た被控訴人方雇人谷口敏郎の運転にかかる貨物自動車を待避中、控訴人が道路に出していた右足を負傷したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号証、乙第六号証、当審証人森野賢男の証言及び原審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると、この負傷は右下腿アヒレス腱部、内〓部及び同踵部等に治癒まで三十六日間を要した挫滅裂創等であつて、その創は創口から内踝の方に向つていたが、骨に異常はなかつたことが認められる。
控訴人は、右負傷は前記自動車の右側前車輪に轢かれて生じたものであると主張するに対し、被控訴人は控訴人の荷車の右側車輪が道路傍の溝に落ち込んだため、積んでいた粗朶が道路上に落ちこれを自動車が押した際に突き刺さつてできたものであると反ばくするので、まずこの点について検討する。
右傷害の部位程度に成立に争のない乙第一号証の二ないし五、原審及び当審検証の結果、原審証人谷口敏郎、当審証人後藤興雄、の各証言、原審及び当審における控訴人、被控訴人、各本人尋問の結果の各一部を綜合すると、次の事実が認められる。
控訴人は前示事故発生現場から約二〇米東方の地点において前方約一二八米の地点に対向して来る本件貨物自動車を認め、之を待避しようとして前記森野(当審検証調書には田村あさのと記載されてある)方前空地内に荷車を曳き入れた途端に荷車の右車輪が県道と空地との間にある幅約二〇糎、深さ約一五糎の小溝に落ち込み、荷車が右傾して県道上に倒れかかつたのでこれを防ぐため、控訴人は車の梶棒の枠内にはいつたまま溝から県道上に右足を約八五糎程突き出して踏張つた。一方前示谷口敏郎は控訴人が待避したので無事通過できるものと思い幅三・三米の県道の中央やや左寄を時速約一〇粁で空荷の貨物自動車(幅二・二米)を運転して来たところえ右の如く控訴人の車が倒れかかり、しかもその車には粗朶が十七束満載してあつて車から四、五〇糎もはみ出していたため自動車のフロントバンバーがこれにつきあたつて止まつたが、その右前車輪は控訴人の右下腿外〓部に当つたままでスリツプした。このため控訴人の履いていた地下足袋の踵の部分は破れ前記負傷を受けたのである。そして控訴人は「バツクしてくれ」といつて、自動車を後退してもらつて右足を前記車輪の下から脱することができた。
被控訴人は右負傷は控訴人の荷車が傾いた際積んでいた粗朶が道路上に落ちこれを自動車が押したためその先が右踵に突き刺さつたのであると主張し、原審ならびに当審において被控訴人はこれにそう供述をするけれども、にわかに措信し難い。もし被控訴人の右主張の如くであれば、粗朶は控訴人が停止していた位置より前方に落ちなければならない筈であるのに、これを認めるべき資料は存しないのみならず、原審証人妹尾旦の証言に前記乙第一号証の二をあわせ考えれば粗朶は路上に落ちなかつたことを推測できるから被控訴人の右供述部分は採用し難く他にこれを認めるに足る証拠はない。
次に右事故は自動車運転者谷口敏郎の過失によるものかどうかについて審究する。
右認定事実によれば荷車の車輪が溝に落ち込むような突発的な事故さえなかつたならば、かような不祥事をおこさなかつたのではあるが、県道の幅が三・三米、自動車の幅が二・二米その右前車輪が道路端から八五糎の地点にあつたこと、控訴人の荷車には粗朶が満載してその端は四、五〇糎も車からはみ出していた事実に当審検証によつて明らかな本件事故現場の向い側の人家が道端より引込んでいることと自動車が空荷であつた事実を彼此綜合すれば、谷口がも少し左側を通過したものであれば本件事故を起こさないですんだものといわざるをえない。そして控訴人は右足を道路に出して待避していたことは前記控訴人本人尋問の結果により明らかであつて、これを谷口が認めていたことは前記検証の結果からも察知するに難くないから同人としてはハンドルを充分左に切り控訴人の積荷に接触することのないように運転すべきであるのにこれを怠つたものと解するのを相当とする。前記谷口は荷車の車輪が溝の下に落ちたため控訴人がはねられて自動車の下にとんできたと証言するけれども、如上認定事実に照らし措信し難く、他に本件事故発生につき谷口運転者に全く過失がなかつたことを肯認すべき証拠はない。
そして前示乙第一号証の四、五及び原審証人谷口敏郎の証言を綜合すると、被控訴人は製材業者、前示谷口敏郎はこれに雇われた貨物自動車の運転手であつて、前記事故発生当時谷口は木材を積込むためにこれを運転して御津郡新山村に赴く途中であつたことが明らかであるから、被控訴人はその事業の執行の為その被用人が控訴人に与えた損害を賠償する責に任ずべきものである。
被控訴人は前示谷口敏郎の選任及びその事業の監督につき相当の注意をしたので賠償責任はないと主張する。そして前示乙第一号証の五に依ると前記事故発生当時被控訴人は前示谷口の運転する貨物自動車の助手席に乗つていたことは之を認め得るが、この事実のみでは未だ被控訴人の責任阻却事由とは認め難く、他に被控訴人の主張事実を認め得べき証拠はない。
よつて進んで控訴人主張の損害額の当否について審按する。
(1) 金一万三千円、昭和二十七年三月六日ないし同年四月十日間、高梁市東病院に入院中の治療費及び病室代。
控訴人が右期間前記病院に入院していたことは前顕甲第一号証によつて明らかであるけれども、この間のこれらの費用を控訴人が支出したことについては、当裁判所の措信し難い原審における控訴人本人の供述を除いては他にこれを認むべき証拠はない。かえつて原審における被控訴人本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、この費用は被控訴人において既に支払ずみであると認めるのを相当とする。
(2) 金六千七百六十五円、右入院治療中の雑費。
入院中に諸雑費を要することはもちろんであるが、前記控訴人本人の供述だけでは右金額を肯認し難く、諸般の事情を勘案し右は金四千円を相当とする。
(3) 金八千円、右入院中附添婦として控訴人の妻春子の休業による日当。
控訴人の入院中特別の事情のない限りは附添婦を要することは容易に首肯し得るところであるけれども、控訴人が妻春子に日当を現実に支給したことについては、これを確認するに足る証拠はなく、この点に関する控訴人本人の供述によつても右心証をえられない。
しかし右は妻が入院中の附添に要した費用および附添のため家事農耕等について控訴人の被つた損害額の請求と解すべきところ、その額も諸般の事情にかんがみ四千円を相当とする。
(4) 金二千五百円 退院後通院治療のための費用。
成立に争ない甲第二、三号証によれば、右治療費は千百二十円を要したことおよびそのため控訴人の通院した回数は高梁市東病院に五回、総社市藤井骨折病院に四回であることが認められるから、これらの事情に照らしその額は千五百円を相当とする。
(5) 金六万円 二百日間の休業による得べかりし一日三百円の割合による労働収入。
成立に争のない甲第五号証、原審証人藤森薫、仁子寿夫の各証言に前記控訴人本人の供述の一部を総合すれば、本件事故当時控訴人は田三反一畝二十七歩を農耕する一方日稼をなし、また本件の場合の如く薪等を伐出して収入を得ていたことおよび退院後稲刈頃までは労働に支障があつたことは認めちれるけれども、右期間は農事に忙しい季節であることを考えると控訴人主張の如く農耕以外の労働に従事し毎日三百円の収益をあげ得たものとは解されない。この点に関する控訴人本人の供述部分は措信できない。しかし右程度の農家であれば右期間中でも農耕の暇を利用して収益を計つたであろうことは察するに難くないからこれを一万円と認定する。
(6) 金九千七百三十五円 昭和二十七年度稲作減収による損害。前記甲第四号証、仁子寿夫の証言に控訴人本人尋問の結果を綜合すれば右事実を認め得る。
よつて本件事故により控訴人の被つた損害は二万九千二百三十五円と認めるのを相当とする。
しかし本件事故発生の原因については控訴人にも過失があつたために生じたものといわざるをえない。すなわち前記認定事実に当審の検証の結果を綜合すれば、控訴人は本件自動車を待避するためには荷車を田村あさの方前の空地は余地が多分にあるのだからこれに十分引き入れてさえおけば本件事故は発生しなかつたことは明らかである。にもかかわらずこれを怠り荷車の右車輪が溝に落ちるような不注意な引き入れ方をしたのではあるが本件自動車運転としては右の程度控訴人の待避でも通過できるものとして運転を続けたことは当然であつて、前段説示の如く今少しく荷車との間隔をとるべきではあつたとはいえ、偶然にも荷車が倒れかかつたため、本件事件をおこしたのであつて、過失の程度からすれば、むしろ控訴人のそれを重しとすべきである。そこでこれを斟酌し右損害額を一万円と判定するのが相当である。
したがつて控訴人の本訴請求は以上の限度において正当であるから之を認容すべく、その余の部分は失当であつて之を棄却すべきものとし、これと異る原判決は変更を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条、第九十二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅芳郎 高橋雄一 三好昇)